聖徳太子廟

 本名は厩戸皇子(うまやどの おうじ)。用明天皇の皇子として生まれ、19歳のときに推古天皇の摂政となる。仏教の興隆に尽力し、法隆寺や四天王寺を建立。また、冠位十二階や憲法十七条を制定した。
これは、仏教を尊ぶことを求め、儒教に基づいて政治を行う事を宣言するものであって、天皇中心の国家づくりを目指した。

墓は、大阪府南河内郡太子町の叡福寺境内にある磯長墓(しながのはか)に治定されている。遺跡名は「叡福寺北古墳」で、円墳である。