方違神社
創建2100年以上の古い神社です。
崇神天皇5年に疫病が大流行し、多くの民が死亡しました。天皇は同8年12月(紀元前90年)勅願により物部大母呂隅足尼(もののべのおおもろすみのすくね)を茅渟の石津原に遣わせ須佐之男神を祀らせ給うたところ、疫病は途絶え五穀は豊穣となったといい、これが方違神社創祀の起源とされています。
万葉集に「三国山こずえに住まふむささびの鳥まつがごとわれ待ち痩せむ」と歌われ、摂津、河内、和泉の三国の境界なるが故にこの三国の境から「堺」の地名の由来です。奈良時代には行基が伏屋を設け人馬往来の要衝として栄えたそうです。以後、方災除けの神として朝廷武家をはじめ崇敬篤く、関連文献には、仁徳天皇・孝徳天皇・空海・平清盛・後鳥羽天皇・徳川家康などの名前がでてきます。
今でも、全国から引っ越し・新築・改築などで御祈祷に連日参られています。

    

駐車場から見える、反正天皇陵です