古墳時代は、厚葬から薄葬へと形式が移行したことで終わりを遂げ、飛鳥時代が到来しました。

古墳の時期区分年表
古墳とは?

宮内庁管理下の墳墓のランキング
第1位 仁徳天皇陵(大仙陵古墳) 525m
第2位 応神天皇陵(誉田御廟山古墳) 425m
第3位 履中天皇陵(上石津ミサンザイ古墳) 365m
第4位 畝傍陵墓参考地(見瀬丸山古墳) 310m
第5位 景行天皇陵(渋谷向山古墳) 300m
第6位 倭迹迹日百襲姫命大市墓(箸墓古墳) 280m
第7位 神功皇后陵(五社神古墳) 275m

the progressive form

  

日本列島では、3世紀後半から約400年の間、土を高く盛り上げた墳丘をもつお墓(墳墓)が盛んに造られました。
この時代に造られた墳丘をもつお墓を「古墳」といい、古墳は当時の階層の高い人によって造られました。古墳の墳丘の周りの掘られた部分に水をためて濠(ほり)になっていることもあります。また、墳丘の斜面には、石(葺石・ふきいし)が敷きつめられているものもあり、装飾や墳丘の崩れの防止などが目的だと考えられています。
形も、上から見たときに、鍵穴の形をした「前方後円墳」、円形の「円墳」や四角形の「方墳」などあり、大きさも10m程度から400mを超える巨大なものまでさまざまです。
大型の前方後円墳の多くには、墳丘や堤の上などに「埴輪(はにわ)」が立て巡らされています。また、墳丘の内部には埋葬施設があり、副葬品が添えられていることが多く、その埋葬品から被葬者の生前の財力・権力などを推測することができます。
そうしたことから、古墳は、お墓というだけでなく、社会的な記念物ということができ、こうした古墳が造営された時代を「古墳時代」と呼んでいます。

the progressive form

歴史的には、水田稲作農耕の弥生時代が始まったことによって、人々の暮らしは「狩猟・採取経済」から「生産経済」に変化します。そうした生活の変化により、各地で水田を中心とする村落が成立し、それらが次第に統合され、初源的な「クニ」と呼ばれるような政治的集団を生み出していきました。
弥生時代の中期には、こうした政治集団の首長たちによって墳墓が造られるようになり、弥生時代の後期後半・ 2 世紀後半には、各地で特色のある墳丘墓が造営されるようになります。
そうした各地の墳丘墓を基にして、地域を越えて画一的な「古墳」が造営されるようになったのが「古墳時代」です。
古墳時代前期の大型古墳は、墳丘の形態や埋葬施設の構造、副葬品の組合せなどがきわめて画一的で、近畿を中心に、西は九州から東は関東・東北南部に及ぶ広範囲で同じ特徴が見られます。このことから、古墳の出現は、広域の首長連合の成立を反映しているものといわれています。