中尾山古墳
中尾山古墳は別名「中尾石墓」と呼ばれる終末期古墳です。
周辺には高松塚古墳天武・持統天皇陵など多くの終末期古墳が点在しています。
享保年間になると並河永が著わした『大和志』の中で文武陵について「平田村に在り、俗に中尾石墓と呼ぶ」と記されており当時中尾山古墳が文武天皇陵と考えられていたことがわかります。
墳丘は対辺長約30mの三段築成の八角形墳であることが明らかとなりました。
被葬者については中尾山古墳の立地や年代、火葬墓であることなどから文武天皇檜隈安古上陵の蓋然性が高いと考えられています。
天皇陵級の古墳に見られる八角墳である点、豪壮な横口式石槨を有する最高級の火葬墓(火葬墳)である点で特異な古墳になる。被葬者は明らかでないが、近年では第42代文武天皇(707年崩御)の真陵とする説が有力視される(現墓は南の栗原塚穴古墳に治定)。
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