(すえむら かまあとぐん)

陶邑窯跡群

日本の焼きものの生産地と言えば、有田、備前、丹波、美濃などありますが、これらの焼きもののルーツとなる須恵器(すえき)が、堺市の泉北ニュータウンを中心に西は和泉市・岸和田市、東は大阪狭山市の東西15キロメートル、南北9キロメートルにおよぶ泉北丘陵一帯で6世紀に大規模に焼かれ、各地に運び出されていました。今でいう「コンビナート」です。新しい焼きものの技術は、朝鮮半島からの渡来人によって伝えられ、泉北の地にも根をおろし、平安時代までの約500年間で600基とも1000基とも言われる数の窯が築かれました。これらの窯跡群は、『日本書紀』に書かれた古い地名の「茅渟県陶邑(ちぬのあがたすえむら)」にあたるとされ、陶邑窯跡群と名付けられました。

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