隼人塚古墳(雄略天皇陵陪塚い号)
雄略天皇陵の長尾街道をはさんだ北すぐ、新興住宅地の中に、雄略天皇天皇陵の陪塚「隼人塚」があります。
この隼人塚については『日本書紀』清寧天皇元年には下記のように記述されています。
「冬十月癸巳朔辛丑(9日)大泊瀬(雄略)天皇を丹比の高鷲原の陵に葬る。時に隼人、陵の側で晝夜哀號して、食を喫さず七日にして死す。有司、陵の北に墓を造りて禮葬する」小さな墳丘の上には「忠臣隼人の墓」と書かれた石碑が有りますが、現在は傍まで行く道すらなく、住宅と住宅の間の空き地から、僅かに石碑が見えるだけです。
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