隼人塚古墳
迷路のような住宅地の袋小路の奥に雄略天皇陵の陪塚に治定された古墳があります。一辺20m、高さ2mほどの方形を呈した墳丘が残されています。
雄略天皇に仕えていた隼人が天皇崩御ののち、御陵の傍らで七日七夜にわたって嘆き続けた末に死んだことから葬ったと伝えられています。
墳丘上に見える石碑は江戸時代に建てられたもので、「忠臣隼人之墓」と刻まれています。