御名の「白髪皇子」の通り、生来白髪であったため、父帝の雄略天皇は霊異を感じて皇太子としたという。
記紀ともに、「后妃なし」「皇子女なし」と皇子がいないことを気に病んでいたが、清寧天皇2年、市辺押磐皇子の子である億計王(後の仁賢天皇)・弘計王(後の顕宗天皇)の兄弟を播磨で発見したとの情報を得、勅使を立てて明石に迎えさせる。翌年2王を宮中に迎え入れ、億計王を東宮に、弘計王を皇子とした。
在位期間は4年間しかなく年齢不詳、行政を行った記録は全くありません。

   

淸寧天皇
代数 天皇名 御陵名 御父 御母
第22代 淸寧(せいねい)天皇 河内坂門原陵 雄略天皇 皇太夫人韓媛命
所在 陵形 皇后
大阪府羽曳野市西浦6丁目 前方後円 磐余甕栗宮