聖徳太子によって平群に建立された熊凝精舎が草創。やがて舒明天皇の御願により飛鳥の地で百済大寺、高市大寺、大官大寺と、名と所を変え、国の筆頭寺院として栄える。平城遷都に伴って現在地に移され、国の安泰と人々の安楽を祈る大寺として、大安寺と号した。華麗なる大伽藍には海外からの渡来僧も含め887名もの学侶が住して、さながら仏教大学の観を呈し、日本の祇園精舎と讃えられて、我が国仏教の源流をなすといわれた。中世以降、災禍などで伽藍消失したが、古来の息吹を伝える9体の天平仏像が今に残り、法灯が護られている。今日は癌封じの寺として、遠近よりの参詣が絶えず、境内も少しずつ整備されてきて、人々の篤い信仰の輪が広がっている。南都七大寺の1つで、奈良時代から平安時代前半までは、東大寺や興福寺と並ぶ大寺であった。当寺の南にはかつての鎮守社であった元石清水八幡宮があります。
嘶堂の周囲にインド八聖地ならびに四国八十八ヶ所、各札所のお砂を配した霊場を整備されています。
誰でも巡礼できます。