河内大塚山古墳
河内大塚山古墳は、松原市と羽曳野市にまたがって所在する前方部を北に向けた前方後円墳で、全長335mの全国で5番目に大きな前方後円墳です。築造時期は6世紀代の古墳時代後期と考えられています。中世には丹下氏が丹下城を築き、織田信長に壊されたのち、江戸時代に大塚村が形成され、氏神の天満宮が祀られました。しかし、大正14年に反正天皇の陵墓参考地となり、昭和の初年までに集落は墳丘外に移されました。明治末期には30軒前後の家があったようです。また、安閑天皇欽明天皇や民話で雄略天皇陵という伝承や敏達天皇が磯長陵から改葬されたという説もあるそうです。